卓球パリ5輪、男女ともに最高潮の盛り上がりを見せました。筆者も手に汗握る試合に心震えたことを覚えています。さて、そんな日本代表メンバーが13日帰国し、帰国後記者会見を開きました。
選手たちが戦いの感想を述べる中、ひと際目立った言葉を放ったのが『早田ひな』選手。
報道陣の「今やりたいことは?」の質問の回答がこちら!
・鹿児島の特攻資料館に行きたい
なぜそのように回答したのでしょうか?
この記事では、早田選手の行きたい場所「鹿児島の特攻資料館」についてまとめたい思います。
では、早速本題に移りましょう。
早田ひな選手とは?
早田ひな選手どんな人物なのでしょうか?
早田ひな選手は、2000年7月7日生まれ福岡県北九州市出身の女子卓球選手です。
ITTF世界ランキング最高位はシングルス4位、ダブルス1位。段級位は7段。Tリーグは日本生命レッドエルフ所属[1]。同年生まれの平野美宇、伊藤美誠らと共に日本の「女子卓球黄金世代」の1人でかつては控え選手の立場であったが[3]、2020年の全日本シングルスで優勝して以降は日本女子卓球の筆頭格となった。
引用元:Wikipedia
現在日本卓球界をけん引する選手の一人です。
パリ5輪成績
2024年に開催されたパリ5輪では、女子団体戦で銀メダル。
シングルスでは、左腕のケガを乗り越え見事銅メダルを獲得しました!
団体・シングルスと活躍し、日本卓球の力強さを世界にアピールしてくれました。
早田ひな選手の言葉
会見で、早田選手は記者の「今やりいことは?」質問に対しどのように語ったのでしょうか?
『ひとつは、アンパンマンミュージアムにポーチを、はい。作りに行きたいなって思ってるのと、
後は、鹿児島の特攻資料館に行って、生きてることを、そして自分が卓球をこうやって当たり前に出来ていることっていうのが、当たり前じゃないって感じたいなって思って、行ってみたいなと思っています』
このように話しました。
なぜ、そのように語ったのか?
鹿児島特攻平和館は、第二次世界大戦時、航空機で敵艦へ特攻した兵士たちの歴史や遺品などが展示されている資料館です。
今、世界では戦争、内戦中の国が未だ多く存在しますが、
現代日本は戦火を離れ、一人一人がやりたいこと。夢に向かって走る事が出来る今をありがたく思うと共に、その地盤を作ってくれた先人へ感謝の意込め、足を運びたいと思ったのでしょう。
行きたい場所とは、どのような場所なのか?
知覧特攻平和会館
早田選手が行きたいと語った、特攻資料館とは『知覧特攻平和会館』のことです。
知覧特攻平和会館とは、いったいどのようなところなのでしょうか?
鹿児島県観光サイトのメッセージをご紹介します。
知覧(現南九州市)は第二次世界大戦末期、沖縄戦の劣勢を一挙に挽回するため、人類史上類のない特攻作戦が展開されたゆかりの地であります。
この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
これらの史実を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するものです。二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを教えてくれます。
引用元:鹿児島県観光サイト鹿児島の旅
知覧特攻平和会館の魅力
現代の日本人は戦争を経験したことのない人が殆どです。
私自身もその一人です。
しかし、今の日本が作られた基盤は先人達の血と涙が積み重なり、築き上げられたモノである事を忘れてはなりません。
現在も平和学習が続く理由は、先人たちの希望・絶望を後世へ繋いでいく為だと思います。
知覧特攻平和会館では、そんな平和へと繫がる道しるべとなった人々の生き様・思いに触れることが出来ます。今の日本がある事、そして今の自分が生きていることについて考えるきっかけとしてはいかがでしょうか?
過去の悲惨な出来事知り、今の自分を見つめなおしましょう。
どのような体験ができるのか?
①語り部
知覧特攻平和会館では、特攻に至った経緯や、当時の状況を知る語り部の方がお話をしてくれます。
②隊員についての情報パネル
特攻隊員について調べることの出来るタッチパネルがあり、戦死者の氏名・出身などを調べることができます。
③遺書・遺品
遺書・手紙、遺詠、絶筆約250点を展示しており、こちらもタッチパネルで調べる事が可能。
難しい内容には解説がついており、英語も対応しています。
④戦地を巡るタクシー観光
周辺の戦争史跡の見どころを案内するタクシー観光研修会に参加されたタクシー会社を斡旋してくれます。隊員達を思いながら、戦地を巡ると心にしみるものがあるでしょう。
来館者の声
私は修学旅行に来る前に、両親と大ケンカをして逃げるように、この修学旅行にきました。
親なんていらない・死んでしまえばいいと馬鹿なことを考えていました。 しかし、今日遺書を見ると両親の孝行のためにと書いてあるのを見て、初めて自分の考えた馬鹿なことを思い知りました。
国を信じた、一筋の男性らしい姿は、今から見ると悲しい結果ではありますが、一人の人間として生を授かったことへの思い入れは比べものになりません。家族を最後まで思い続けた、若い青年の死を無駄にしたくないと思います。生きることへの責任を再び考え直したい。
所在地
知覧特攻平和会館
〒897-0302鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地
電話番号:0993-83-2525 ファックス:0993-83-4859
最後に
早田選手の一言は、プロ選手として流石だなと感じました。
卓球選手である前に一人の人間として、今生きていられる事に感謝をしたい。
そう、感謝の思いを持ちながら、ひたむきに頑張った早田選手だからこそ、
今回のパリ5輪で好成績をおさめることが出来たのだと思います!
今は、戦いの疲れを癒し、次の戦いの舞台に向け英気を養ってもらいたいと感じるばかりです。
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